黒田「桃花会」

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2012年1月22日 (日)

奈良県「子供太鼓フェスティバル」2012

1月22日午後。

田原本町生涯学習センター「弥生の里ホール」にて、大盛況の中、子供太鼓フェスティバルが実行されました。

発表は、桜井市「和太鼓ひびき」、大和郡山市「かがやき太鼓団チャングコース」、高取町「和太鼓キララ」、黒滝村「和太鼓紅Jr.」、御所市「すずかけキッズ」、大和郡山市「矢田小学校、矢ッタ‐キッズⅡ」、大和郡山市「かがやき太鼓団和太鼓コース」、桜井市「初瀬太鼓.麟風隊」、大和郡山市「大和獅子太鼓雷音」、御所市「燿ジュニア」、明日香村「魂源堂太鼓道場」、香芝市「香芝太鼓、子ども楽鼓の会」、田原本町「田原本楼閣太鼓はにわ組」の13団体。

007 広い会場内、満員の客席に、笛や舞を交えての勇壮な子供の太鼓が響き渡ります。

とても子供達とは思えないその響きは、聞く人達を圧倒し、今更ながら、解説をする必要も無い程。

次回は、11月11日(日)大和郡山城ホールとの事です、近くの方はぜひ聴きに行って下さい。

桃の植樹準備。蔵堂地区整備

里山自然農法協会で、桃植樹用地の整備をして下さるとのことで、立ち合いがてら訪問。

総人数18名で、トラクターで耕起、雑草の焼却、竹破砕チップの始末等をして下さいました。

001 003 005

雑木の始末等も順次実施して頂く予定です。

2012年1月16日 (月)

長谷寺~大神神社。初瀬(伊勢)街道初ウオーク

1月14日。

近鉄長谷寺駅に集合して初瀬街道を三輪まで約13k。

長谷寺009 019

豊山神楽院長谷寺真言宗豊山派の総本山として、 また西国三十三観音霊場第八番札所として、 全国に末寺三千余ヶ寺朱鳥( あかみどり )元年(686)道明(どうみょう)上人は、天武天皇のおんために銅板法華説相図( 千仏多宝仏塔 )を西の岡に安置、のち神亀四年( 727)徳道(とくどう)上人は、聖武天皇の勅を奉じて、衆生のために東の岡に十一面観世音菩薩をおまつりになられました。

法起因003 005

長谷寺の塔頭であり、開山堂天平年間、道明上人と共に長谷寺を開基した徳道上人が亡くなってあの世へ行ったところ、閻魔大王から西国三十三カ所巡拝の功徳を広めるようにと観音有縁の地33カ所を示され、この世に戻された。

現在の西国三十三カ所霊場巡りは、この徳道上人が始めたものとされている。三十三カ所霊場巡りの番外寺院として、霊場巡りを終えた人が最後に参詣する寺院

027 十二柱神社、野見宿禰五輪の塔

武烈天皇の泊瀬列城宮(はつせなみしろのみや)があったとされているので、境内にその石碑がある。

武烈天皇は非常に残虐な天皇であったとされ、子供がいなかったので出身地が島根県の出雲国なのか、この出雲集落なのか、2つの説があるが

白山神社

「万葉集発燿讃仰碑(はつようさんぎょうひ)」があり、その奥に万葉集のトップを飾る雄略天皇の歌碑がある。

この神社の北東、山の麓に雄略天皇の宮殿である「泊瀬朝倉宮」があったとされているので、この「籠もよみ籠もち掘串もよ--」という歌は、天皇がこの辺りの丘で摘み草をしている乙女たちに語りかけたものであろうか。

037 春日神社

慶長8年(1603)に建立された三間春日造りの優雅な建物で、重要文化財に指定されている。

044 玉列神社

延喜式内社で、初瀬谷最古の神社 玉椿が列なって

007 海石榴市観音堂

万葉の時代の海石榴市は、国内有数の交易の中心地でした。

水運の拠点ともなっていた大和川(初瀬川)にも近く、当時の幹線道路である山ノ辺の道・初瀬街道・磐余の道・竹ノ内街道が交錯する、物流の中心地でした。

市場がたち、常に人の集まる賑やかな場所だったようです。

また、若い男女が集まって、互いに歌を詠み交わす「歌垣(うたがき)」という遊びの舞台でもありました。今では想像が付きにくいですが、「歌を詠み合う合コン」のような性格のものだったとか

009_2 金屋の石仏

2枚の泥板岩(石棺の蓋)に釈迦如来像、弥勒菩薩像を刻んだ浮き彫り(リリーフ)。重要文化財指定。
三輪山中腹に安置されていたが、明治初年の神仏分離により現在地に移した。

制作年代:平安初期から鎌倉に至るまで各説ある。

013 平等寺

581年聖徳太子が賊徒を平定するため、三輪明神に祈願して賊平定後十一面観音を刻んで寺を建立し大三輪寺と称したのがはじまりだという。

案内板では、鎌倉時代初期に慶円上人を迎え、平等寺と改称して大伽藍が再建されたとなっているが、実際は、慶円が開山したと見るのが正しいとされている。

慶円は三輪上人と称えられた名僧で、桜井の阿倍に住んでいたが、後に三輪の平等寺に庵を結び、仏教興隆に尽力し、貞応2年(1223)84歳で入寂し三輪別所堂とも呼ばれたという。

017 大神神社

2012年1月10日 (火)

 古事記を訪ねて 編さん1300年 田原本町「桃太郎伝説」

★☆★☆★☆★☆★ ★ 読売新聞【転載】120105 ★ ★☆★☆★☆★☆★



 古事記を訪ねて 編さん1300年
 田原本町「桃太郎伝説」


 寒さに備え、桃の木の根元にワラを敷き詰める黒田桃花会の会員(田原本町黒田で)  (※ 写真1)


 「もう一束ワラを持ってきて」「もっと根元まできっちり敷いて」

 近鉄黒田駅(田原本町)近くの線路沿いの遊休農地。エプロンや作業着姿の「黒田桃花(とうか)会」の会員12人が、桃の木の根元にワラを敷き詰め、冬支度を整えていた。「今は葉も落ちて殺風景だが、3月には濃いピンクや白の花で華やいだ雰囲気になります」と会長の片岡慎治さん(67)は汗をぬぐった。

 田原本町は、「古事記」に記された第7代孝霊天皇が「黒田廬戸(いおど)宮」を構えたという伝承があり、その皇子が桃太郎のモデルになったと言われている。いわば「桃太郎伝説」の生まれた地。このため、1990年代半ば、町内の商店主らが中心となって「桃太郎会」を結成し、PRを始めた。

 こうした動きを受け、黒田廬戸宮伝承地がある黒田地区でも桃太郎を生かした街おこしをしようと、2003年1月、地元有志が黒田桃花会を発足させた。近くにある弥生時代の環濠(かんごう)集落跡、唐古・鍵遺跡から桃の種が出土しており、周辺では約2000年前に桃が生えていたらしく、桃太郎伝説と併せて「桃のあふれる地域にしよう」と栽培に乗り出した。

 発足翌月、黒田駅近くの約2000平方メートルの農地に苗木40本を植え、同駅前や孝霊天皇を祭った孝霊神社などに計80本を植えた。会員に果樹栽培の経験者はいなかったが、県農業試験場にコツを尋ねたり、本やインターネットで調べたりして手入れを続けた。

 苗木は順調に育ち、翌年夏には約800個の実を収穫できた。05年から収穫は約3000個になり、即売会も実施。「樹上で完熟させるので、甘みが強くおいしい」と評判を呼び、今では収穫時期が近づくと予約が殺到するようになったという。

 会の取り組みは、町内の他地域にも広がる。桃太郎のモデルとなった伝承がある初瀬川(大和川)が流れる蔵堂地区。片岡さんの知人の紹介で遊休農地約3000平方メートルに会員が3月、桃の苗40本を植える。今後、地元の人に栽培を引き継ぐつもりだ。

 「春には花を、夏には実を楽しむ。古事記が編まれた当時に思いをはせながら桃を愛(め)でてもらえれば」と片岡さん。将来的には桃の木のオーナー制度など、町外からも参加できるような仕組み作りを検討しており、地元の町が古代のロマンに浸れる〈桃源郷〉になればと願っている。

<桃太郎伝説> 岡山県の「温羅(うら)伝説」に基づくものが有名。渡来人の温羅が鬼ノ城(きのじょう)を築き、周辺で暴れ回った。このため、朝廷が孝霊天皇の皇子、日子伊佐佐勢理毘古命(ひこいささせりびこのみこと)を派遣、温羅を退治した。古代、桃に霊力があると信じられており、それが「桃から生まれた特別な能力を持った人物」につながったとの説もある。古事記に桃太郎伝説はないが、この皇子が吉備(岡山県)を平定したと記す。

(2012年1月5日 読売新聞)


☆☆☆ 読売新聞奈良版『 古事記を訪ねて 編さん1300年 田原本町「桃太郎伝説」 』 へどうぞ!!! ☆☆☆
♭♭♭ http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nara/feature/nara..



★☆★☆★☆★☆★ ★ 読売新聞【転載】120105 ★ ★☆★☆★☆★☆★

2012年1月 4日 (水)

2012年の正月

元旦から3日、近くの神社を巡ったり散歩をしたりの単純な日々を過ごしました。

まずは氏神さんの孝霊神社001

004_2 005 そして大神神社、

014 015 更には鏡作りと。

012 014_2 015_2 009 005_2 日差しが有れば、腹ごなしに付近をウオーク、取り留めも無い日々を。