1月14日。
近鉄長谷寺駅に集合して初瀬街道を三輪まで約13k。
長谷寺
豊山神楽院長谷寺真言宗豊山派の総本山として、 また西国三十三観音霊場第八番札所として、 全国に末寺三千余ヶ寺朱鳥( あかみどり )元年(686)道明(どうみょう)上人は、天武天皇のおんために銅板法華説相図( 千仏多宝仏塔 )を西の岡に安置、のち神亀四年( 727)徳道(とくどう)上人は、聖武天皇の勅を奉じて、衆生のために東の岡に十一面観世音菩薩をおまつりになられました。
法起因
長谷寺の塔頭であり、開山堂天平年間、道明上人と共に長谷寺を開基した徳道上人が亡くなってあの世へ行ったところ、閻魔大王から西国三十三カ所巡拝の功徳を広めるようにと観音有縁の地33カ所を示され、この世に戻された。
現在の西国三十三カ所霊場巡りは、この徳道上人が始めたものとされている。三十三カ所霊場巡りの番外寺院として、霊場巡りを終えた人が最後に参詣する寺院
十二柱神社、野見宿禰五輪の塔
武烈天皇の泊瀬列城宮(はつせなみしろのみや)があったとされているので、境内にその石碑がある。
武烈天皇は非常に残虐な天皇であったとされ、子供がいなかったので出身地が島根県の出雲国なのか、この出雲集落なのか、2つの説があるが
白山神社
「万葉集発燿讃仰碑(はつようさんぎょうひ)」があり、その奥に万葉集のトップを飾る雄略天皇の歌碑がある。
この神社の北東、山の麓に雄略天皇の宮殿である「泊瀬朝倉宮」があったとされているので、この「籠もよみ籠もち掘串もよ--」という歌は、天皇がこの辺りの丘で摘み草をしている乙女たちに語りかけたものであろうか。
春日神社
慶長8年(1603)に建立された三間春日造りの優雅な建物で、重要文化財に指定されている。
玉列神社
延喜式内社で、初瀬谷最古の神社 玉椿が列なって
海石榴市観音堂
万葉の時代の海石榴市は、国内有数の交易の中心地でした。
水運の拠点ともなっていた大和川(初瀬川)にも近く、当時の幹線道路である山ノ辺の道・初瀬街道・磐余の道・竹ノ内街道が交錯する、物流の中心地でした。
市場がたち、常に人の集まる賑やかな場所だったようです。
また、若い男女が集まって、互いに歌を詠み交わす「歌垣(うたがき)」という遊びの舞台でもありました。今では想像が付きにくいですが、「歌を詠み合う合コン」のような性格のものだったとか
金屋の石仏
2枚の泥板岩(石棺の蓋)に釈迦如来像、弥勒菩薩像を刻んだ浮き彫り(リリーフ)。重要文化財指定。
三輪山中腹に安置されていたが、明治初年の神仏分離により現在地に移した。
制作年代:平安初期から鎌倉に至るまで各説ある。
平等寺
581年聖徳太子が賊徒を平定するため、三輪明神に祈願して賊平定後十一面観音を刻んで寺を建立し大三輪寺と称したのがはじまりだという。
案内板では、鎌倉時代初期に慶円上人を迎え、平等寺と改称して大伽藍が再建されたとなっているが、実際は、慶円が開山したと見るのが正しいとされている。
慶円は三輪上人と称えられた名僧で、桜井の阿倍に住んでいたが、後に三輪の平等寺に庵を結び、仏教興隆に尽力し、貞応2年(1223)84歳で入寂し三輪別所堂とも呼ばれたという。
大神神社、
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